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 石山寺(大津市) 08.10.21     玄宮園(彦根市) 08.5.16
 金剛輪寺(愛荘町) 08.5.16  大通寺(彦根市) 08.5.15
 長浜城(長浜市) 08.5.15  彦根城(彦根市) 08.5.16
 彦根城博物館(彦根市) 08.5.16  百済寺 (東近江市) 08.5.16
 楽々園(彦根市) 08.5.16  

●石山寺(大津市) 08.10.21
紫式部ゆかりの花の寺。西国三十三所観音霊場の第13番札所。奈良時代後期に聖武天皇の発願により、良弁によって開かれた。広大な境内には、寺名の由来となった天然記念物の硅灰石(けいかいせき)がそびえている。国宝の本堂・多宝塔をはじめ、経典・聖教類、仏像、絵巻など多くの国宝、重要文化財がある。 (08.10.21)

●玄宮園(彦根市) 08.5.16
国の特別史跡「彦根城跡」の区域、および隣接する楽々園とともに「玄宮楽々園」として国の名勝に指定されている。玄宮園の位置は城内の北東部で内濠と琵琶湖の入江(松原内湖)に挟まれた第二郭と呼ばれる曲輪内にあり、築城当初は重臣川手主水の屋敷が建てられていたが、主水が大坂夏の陣で死亡してからは空家となり、寛永元年(1624年)ごろに下屋敷が建設されたといわれる。入江側は1940年代に第二郭の間近まで干拓が進み現在は堀状の溝で囲まれる形となっているが、往時は庭園北側の水門から舟で琵琶湖まで出られるようになっていた。(08.5.16)

●金剛輪寺(愛荘町) 08.5.16
本尊は聖観音菩薩、開基(創立者)は行基とされる。西明寺、百済寺(ひゃくさいじ)とともに湖東三山の1つに数えられる。天正元年(1573年)、織田信長の兵火で湖東三山の1つである百済寺は全焼し、金剛輪寺も被害を受けるが、現存の本堂、三重塔は寺僧の尽力で焼失をまぬがれたという。当寺の本堂をはじめとする中心堂宇は総門や本坊のある地点から数百メートルの石段を上ったはるか奥にあるため、見落とされ、焼き討ちをまぬがれたのではないかという説もある。 (08.5.16)

●大通寺(長浜市) 08.5.15
慶長7年(1602年)、本願寺第12代教如(きょうにょ)を開基として長浜城内に長浜御堂を創建。翌年、慶長8年(1603年)に本願寺は東西に分立。その後、長浜城の廃城に伴って大通寺(長浜御坊)も慶安4年(1652年)に現在地に移転している。 (08.5.15)

●長浜城(長浜市) 08.5.15

1573年(天正元年)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名した。小谷城で使われていた資材や、あらかじめ、竹生島に密かに隠されていた材木などを見つけ出し、それらを使用し築城を開始した。同3・4年頃完成し入城。湖水に石垣を浸し、城内の水門から直に船の出入りができるようになっていた。城下町は小谷城下(滋賀県長浜市湖北町伊部)からそのまま移した。そのため、現在でも城下町には当時の面影や名残がある。秀吉が最初に築いた居城であり、秀吉の城下町経営の基礎を醸成した所でもある。(08.5.16)


●彦根城(彦根市) 08.5.16
江戸時代には彦根藩の政庁が置かれた。天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城跡は特別史跡かつ琵琶湖国定公園第1種特別地域である。天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、姫路城、松江城)。江戸時代初期、現在の滋賀県彦根市金亀町にある彦根山に、鎮西を担う井伊氏の拠点として築かれた平山城(標高50m)である。山は「金亀山(こんきやま)」の異名を持つため、金亀城(こんきじょう)とも呼ばれた。多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。 (08.5.16)

●彦根城博物館(彦根市) 08.5.16
彦根市の市政50周年を記念し、1987年(昭和62年)2月12日に開館した博物館である。当館の開設に伴って、井伊美術館は1986年(昭和61年)11月30日に閉館し、収蔵品を彦根市に寄贈することになった。そのため、当館は開館時点で約2万点の美術品や歴史資料など収蔵・展示する博物館として開館することになった(08.5.16)

●百済寺(東近江市) 08.5.16
天台宗の寺院。山号を釈迦山と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は聖徳太子とされる。金剛輪寺、西明寺とともに「湖東三山」の1つとして知られる。境内は国の史跡に指定されている。百済寺の史料上の初見は11世紀の寛治3年(1089年)であり、聖徳太子創建との伝承がどこまで史実を反映したものかは不明であるが、百済寺という寺号から見て、この寺は渡来系氏族の氏寺として開創された可能性が高い。平安時代には、近江国の多くの寺院と同様、比叡山延暦寺の勢力下に入り、天台宗の寺院となり、「湖東の小叡山」や「天台別院」とも称されるようになった。 (08.5.16)

●楽々園(彦根市) 08.5.16

かつては、江戸時代初期 (1677年) に彦根藩4代藩主井伊直興によって造営が開始された井伊家の下屋敷であった。「御書院」「地震の間」「楽々の間」「雷の間」「新東西の間」や「鳰の間」など江戸時代後期の数奇屋建築が現存する。 江戸時代は「槻御殿」あるいは「黒門外御屋敷」と呼ばれており、明治時代以降に「樂々の間」から「楽々園」と呼ばれるようになったとされる。 御書院から望む庭園は玄宮園の池泉を借景とする枯山水である。 戦前までは庭園と御書院の間に池が広がっていた。 (08.5.16)


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