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 大垣城(大垣市) 08.2.20    海津市歴史民俗資料館(海津市) 08.5.15
 岐阜城(岐阜市) 08.2.20  行基寺(海津市) 11.1.10
 華厳寺(揖斐川町) 13.7.4  墨俣城(大垣市) 09.2.25
 高山陣屋(高山市) 16.6.15  治水神社(海津市) 08.2.19
 千代保神社(海津市) 09.2.25  南宮大社(垂井町) 11.1.10
 飛騨国分寺(高山市) 16.6.15  本光寺(飛騨市) 16.6.16
 横蔵寺(揖斐川町) 13.7.4  渡辺酒造店(飛騨市) 16.6.16

●大垣城(大垣市) 08.2.20
宮川氏築城当時は、牛屋川を外堀の代わりに利用し本丸と二ノ丸のみであったという。氏家氏、伊藤氏によって改築が加えられたとされ、1613年(慶長18年)には石川忠親によって総堀が加えられ、松平忠良が天守を改修した。その後1649年(慶安2年)に 戸田氏鉄によって明治に至る姿とされた。 (08.2.20)

●海津市歴史民俗資料館(海津市) 08.5.15

「貝塚と古墳」「輪中と低地の農業」「高須藩」を主要テーマに、海津市の歴史や文化を紹介する資料館。(08.5.15)


●岐阜城(岐阜市) 08.2.20

岐阜市(旧・美濃国井之口)の金華山(稲葉山)にあった日本の城(山城跡)。織田信長が、斎藤龍興から奪取した稲葉山城の縄張りを破却して、新たに造営したものが岐阜城である。城跡は岐阜城跡(ぎふじょうあと)として金華山と、その山塊の2,091,602.74平方メートルが国の史跡に指定されている。その範囲は、現在の国有林の範囲に符合する。『信長公記』に、「尾張国小真木山より濃州稲葉山へ御越しなり。井口と申すを今度改めて、岐阜と名付けさせられ」と記載されている。稲葉山(井口山)からの続きが瑞龍寺山という。(08.2.20)


●行基寺(海津市) 11.1.10

浄土宗の寺院、山号は臥龍山。 別名「月見寺」「隠れ城」「お月見の寺」。行基入定の地の伝承がある。美濃高須藩藩主松平氏菩提寺である。本尊は大日如来。西美濃三十三霊場27札所。本堂、大書院、小書院、庫裡、松平家廟を有し、高い石垣を持つ城郭風の伽藍であり、一見すると小規模な城である。一説には、緊急時には高須藩の城としての機能を有していたという。そのためか、寺院というより城の御殿に近い。1705年(宝永2年)に造られた美しい回廊式庭園があり、有料で拝観できる。また、庫裡にある月見の間からは、濃尾平野が一望できる。 (11.1.10)


●華厳寺(揖斐川町) 13.7.4
「たにぐみさん」の愛称で親しまれる当山は延暦十七年(798)に創建され、正式には「谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)」といい、その山号と寺号は醍醐天皇より賜った。その後は朱雀天皇より鎮護国家の道場として勅願寺に定められ、花山法皇、後白河法皇を始めとする歴代の皇室、朝廷からも帰依厚く、いにしえより観音信仰の霊験あらたかな名刹寺院として千二百年余の歴史を誇る。また日本最古の観音霊場「西国三十三観音霊場」の第三十三番札所で結願・満願のお寺として知られ、春にはには紅葉の名所として賑わいをみせる。 (13.7.4)

●墨俣城(大垣市) 09.2.25

築城時期は不明である。長良川西岸の洲股(墨俣)の地は交通上・戦略上の要地で、戦国時代以前からしばしば合戦の舞台となっていた(墨俣川の戦い)。斎藤氏側で築いた城は斎藤利為らが城主を務めた。また、1561年(永禄4年)ないし1566年(永禄9年)の織田信長による美濃侵攻にあたって、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)がわずかな期間でこの地に城を築いたと伝えられている。これがいわゆる墨俣一夜城であるが、不明な点が多く、様々な議論がある。現在、墨俣城跡の北西側は一夜城跡として公園に整備されている。公園内には大垣城の天守を模した墨俣一夜城歴史資料館が建てられているが、史実上の外観とは異なる。また、公園内にある白鬚神社(式内社荒方神社の説がある)には境内社として模擬天守閣が築かれたさいに分祀された豊国神社があり、豊臣秀吉が祀られている。 (09.2.25)


●高山陣屋(高山市) 16.6.15
江戸幕府が飛騨国を直轄領として管理するために設置した代官所・飛騨郡代役所(陣屋)。現在の岐阜県高山市八軒町に置かれた。表門・門番所、一〜四番蔵・九〜十二番蔵、書物蔵。郡代役所は玄関・吟味所・御役所・大広間などの部分に1816年(文化13年)に改築。敷地内の土蔵は、元々慶長年間(1600年前後)に高山城内に建設され、1695年(元禄8年)に現在地に移築されたものである。建物の屋根は熨斗葺(のしぶき)、柿葺(こけらぶき)、石置長榑葺(いしおきながくれぶき)など、いずれも板で葺かれている。これは飛騨が雪国であるとともに木材の生産地であり、当時の瓦では雪で容易に損耗してしまうのに対して、木材は入手が容易であったためとされている。 (08.4.22/16.6.15)

●治水神社(海津市) 08.2.19
江戸時代の中頃、徳川幕府は、木曽三川の水害で悩む濃尾平野西南部の住民を救うため、薩摩藩にお手伝い普請を命じた。薩摩藩士らは、経験したことのない水の流れに苦しみながら、この地方の住民のため、多大の犠牲を払い、万難を排して工事を見事完成させた。平田靱負大人は、この工事の総責任者。幕府の検分が終わった直後の宝暦5年5月25日、工事の完成を見届けた大人は、美濃大牧の役館で命終された。その後、平田大人を治水の神と讃える地元の人々の報恩感謝の熱い思いにより、昭和13年現在の地に、平田靱負大人を御祭神とする治水神社が創建された。治水神社は、治水に尽力された薩摩藩士の功績を讃え、平田靱負大人の遺徳を偲び、犠牲となった多くの藩士達を慰霊している。 (08.2.19)

●千代保神社(海津市) 09.2.25

海津市平田町三郷1980にある稲荷神社である。平安時代、源八幡太郎義家の六男の義隆が分家する際、森の姓をもらいうけ、義家より「先祖の御霊を千代に保て」と祖神と共に宝剣と義家の肖像画を受け賜わったのが始まりと伝えられる。千代保稲荷神社の名も、この言葉からきている。後に室町時代の文明年間(1469年 - 1486年)、子孫の森八海がこの地に祖神を祀ったのが開祖となり、現在は19代目という。地元の岐阜県西濃地方などではお千代保稲荷(おちょぼいなり)と呼ばれることが多く、通称「おちょぼさん」として親しまれている。地元では京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷とともに、日本三大稲荷の一つともいわれることもあるが、神社側では否定している。毎月月末の日の夜から翌日1日の明け方にかけ、夜通しで"月並祭"という縁日が開催されることでも有名。朝方まで営業しているお店も多い。 (09.2.25)


●南宮大社(垂井町) 08.2.19
旧称は南宮神社。式内社(名神大社)、美濃国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。「国府の南に位置する宮」として「南宮」を名乗るようになったとされる。鉱山を司どる神である金山彦命を祭神としており、全国の鉱山・金属業の総本宮として古くから信仰を集めている。境内には江戸時代の遺構18棟が残っており、国の重要文化財に指定されている。式年遷宮は51年毎に行われる。 (08.2.20/11.1.10)

●飛騨国分寺(高山市) 16.6.15

741年(天平13年)、聖武天皇により国分寺建立の詔が発せられ、757年(天平勝宝9年)頃、行基によって建立されたという。819年(弘仁10年)、火災で焼失。855年(斉衡2年)ころ、再建される。室町時代に本堂が再建されるが、詳しい時期は不明である。七重塔(現三重塔)に再建記録とほぼ同じと推測すると、応永年間に焼失後再建され、1585年(天正13年)、金森長近が姉小路頼綱の松倉城を攻めたさいの兵火で焼失する。この後、再建と考えられる。1615年(元和元年)に三重塔が再建されるが、1791年(寛政3年)に暴風雨で倒壊。1820年(文政3年)再建されたのが現在の塔である。1695年(元禄8年)、飛騨国が天領となり、高山城が取り壊され、一部は飛騨国分寺に移築され、鐘楼門などに利用される。 (08.4.21/16.6.15)


●本光寺(飛騨市) 16.6.16

飛騨市古川町にある浄土真宗本願寺派の寺院。近隣の真宗寺や円光寺とともに1月9日から16日まで開かれる報恩講は三寺まいりとして知られている。天文年間に照蓮寺11世了教の法嗣、教了が結んだ草庵が起源。慶長8年(1603年)3世住持、了賢の代に現在の寺号を定める。浄土真宗の東西分立においては大谷派についたが、宝永3年(1706年)に本願寺派に転派した。明治37年(1904年)の古川大火で焼失し、本堂は大正2年(1913年)、山門は平成7年(1995年)に再建された。 (16.6.16)


●横蔵寺(揖斐川町) 13.7.4
803年(延暦22)に伝教大師最澄(さいちょう)が創建したと伝えられる寺。22体の国の重要文化財が安置され、多くの絵画、書籍を蔵していることから"美濃の正倉院"と呼ばれている。中でも200年前に即身成仏したという妙心法師の舎利仏は有名。秋になると周囲の山々や境内に植えられた木々が美しく色づき、紅葉の名所となる。 (13.7.4)

●渡辺酒造店(飛騨市) 16.6.16
渡邉家が酒造りを始めたのは明治3年(1870)、5代目久右衛門章。生糸の商いで京都に旅した折に口にした酒の旨さが忘れられず、自ら居するこの地に酒蔵を構え、旨い酒をとの一心で酒造りを始めたという。出来あがった酒は至極好評となり、酒を愛でる宴で謡曲を謡いながら、えもいわれぬ、珠玉のしずくに酔ったと記されている。その時、謡曲「鶴亀」で謡われた一節から「蓬莱」を銘柄として選んだ。 (16.6.16)

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