酒食和楽通信


<酒と食の技術と経済>


百余年前に、輸入品種依存から国産品種へ
ビール麦の「金子ゴールデン」



ビールの歴史は数千年、日本のビールは…
 先日、東京練馬にあるJA東京あおば様を訪れる機会があり、「ビール麦・金子ゴールデン」について、地域振興部の内堀比佐雄部長代理、田中和夫課長代理両氏から詳しい資料とお話を聴かせて頂いた。そこで記念碑がある練馬区豊玉南にある氷川神社で、日本のビール麦のルーツはここなんだと、感慨を新たに当時の空気を味わってきたので、頂いた資料を基に紹介したい。

ビールの歴史は古く、はるか紀元前には誕生していたという説があり、エジプトではピラミッド建設の労役に対する報酬として、ビールが支給されたとも聞く。ヨーロッパ中世に、修道院などでその醸造技術が発達し、17世紀ドイツで、ビール麦(二条オオムギ)とホップでつくるものがビールと定められた。

わが国でビールが一般に飲まれるようになったのは明治時代以降であるが、原料のビール麦の栽培は明治10(1877)ころ北海道で始まり、その後府県に広がっていった。当初、品種はアメリカやオーストラリアなどで育成されたものを用い、大正時代になって県農事試験場や醸造会社によって、わが国独自の品種改良が盛んに進められた。

個人で、わが国初のビール麦品種の育成
 ところが、それに先立つ明治33(1900)、篤農家・金子丑五郎によって、わが国初のビール麦品種が育成された。金子ゴールデンである。記念碑の説明板に書かれているように、早生で倒伏しないという優れた性質をもつために広く栽培された。

そして何より、その後の品種改良の親になって、育種に貢献していることが重要である。たとえば昭和の後半から平成時代にかけてビール麦の主要品種になったニューゴールデン・アズマゴールデン・あまぎ二条など、多くの優秀品種が金子ゴールデンの血を受け継いでいる。

東京でのビール麦の栽培が盛んだった昭和25(1950)に、生産者は1044戸、面積は約130ヘクタールだった。そのうち、練馬区が生産者440戸、面積71ヘクタールと最も多く、ほかに八王子市・町田市・立川市・武蔵野市などに多かった。(江戸・東京農業名所巡りを抜粋)

ビール麦「金子ゴールデン」は、東京府北豊島郡中新井村(練馬区豊玉南)の当地で育成された。翁は、優れた先見性と旺盛な研究心、地道な努力を積み重ね、米麦をはじめ野菜の品種改良にも情熱を傾け、近郊農家の経営安定に大きく貢献した。特に国産ビールの需要拡大を予見し、輸入品種と国産種の自然交配から「金子ゴールデン」を選抜し育成した。

翁が改良した種子は、貴重な遺伝資源として「独立行政法人 農業生物資源研究所ジーンバンク」に永久保存されている。練馬区豊玉が生んだ翁の功績を地域文化として伝承し、都市農業の振興のため、平成15年翁を慕う農民等が相次いで栽培を復活した。(写真と文=ビール麦・金子ゴールデン発祥の地[碑文]より抜粋)

偉業を讃えて練馬に記念碑
 東京の交通の要所である環七通りに面する氷川神社(通称豊玉氷川神社)は、大宮一宮の分霊と伝えられている。文明8(1476)、太田道灌の祈願所になり、道灌が崇敬したともいわれている。農業の盛んな頃は、夏の雨乞い行事もここで行われた。

平成18(2006)1016日、金子家の産土(うぶすな)様としてゆかりのある豊玉氷川神社の境内に記念碑を建立し、翁の功績を後世に残すことになった。(2010624)




 文  国土 敏明(株式会社ケイ・ワン・プロジェクト 代表取締役)
 写真 五頭 輝樹
 取材協力 JA東京あおば
 資料提供 JA東京グループ
 参考文献 江戸・東京農業名所めぐり(平成14917日・東京都農業協同組合中央会)
         金子ゴールデン記念碑(平成181016日・建立実行委員会